入船在住 80代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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入船在住 80代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000134
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●4日目からはボランティアネットワークの活動に従事
震災後、4日目からは社会福祉協議会が運営する市の災害ボランティアセンターでコーディ ネート活動を行っていました。社会福祉協議会の職員たちだけではとても数が足りず、ボランティアネットワークに登録している人たちが20数名応援に出て、3月いっぱいセンターで仕事をしていました。
3月だけで約8,600人がボランティアとしてやって来ました。その時の状況は「東日本大震災 浦安市災害ボランティアセンター 活動報告書」に詳しく掲載されています。ちょう ど春休みだったこともあり、多くの学生が応援に駆けつけてくれました。土曜日や日曜日には、多い日で1,200人近くの若い人たちが集まってくれました。報告書を見てみると、ボランティアの24%が19〜22歳の若い人たちであることがわかります。
●多くの若者たちの力に感謝
あの時の活動は、彼らにとって一生忘れられないものになったと思います。液状化で溢れ 出した泥を取り除く作業がほとんどでしたが、本当に彼らの活動に助けられました。中学生の姿もありましたが、作業後のスコップの手入れや掃除など、いろいろな場面で活躍してくれました。断水のためわずかな水を使いながらの作業で、日常生活のありがたさについて、いろいろと思うこともあったかと思います。
ボランティアセンターでさまざまな人に出会い、人は見かけによらないということを強く感じました。5日間連続で活動してくれた若者は、茶髪で服装もかなり独特でしたが、素晴 らしいリーダーシップを発揮してくれました。また、大勢の人たちをまとめていくという 作業がとても大変でしたが、応援に駆けつけてくれたディズニーランドからのスタッフたちの存在はとても大きかった。接客の達人ともいうべき人たちで、本当に助かりました。
●防災隊としても震災対策を強化
以前から毎年防災訓練を行っていましたが、震災以降はさらに防災隊の活動に力を入れるようになりました。マンションの建物はコンクリートのため家具などの固定がなかなか難しいのですが、それを管理組合や業者と相談したり、災害時に無事であることを意思表示するためのワッペンを作ったりもしました。液状化が起こった際には、車椅子での移動は 大変不便です。そこで車椅子ごとリヤカーのように引くための「取っ手」も購入しました。
防災用の倉庫を5棟増築し、液状化で溢れ出した泥を入れるための袋も1,000個準備しました。水やすぐに食べられる食料は少なくとも1週間分は備蓄するように、各家庭に呼びかけています。
また、水道水は地上の貯水タンクからポンプで上げる仕組みになっているのですが、震災 の際には水道とタンクを結ぶバルブが破壊し、タンクに溜まっていた何百トンという水が流れ出してしまいました。そこで、震度5以上になるとバルブが自動的に閉まるように改善をしました。住居関係は管理組合が、そして生活関係は自治会と役割が分かれているため、常に融和しながら話を進めています。