入船在住 80代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
浦安市における東日本大震災の記録コンテンツのご利用について(利用規約)
入船在住 80代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000179
●幼い頃の記憶が蘇り、屋外へ避難
教え子と一緒に、オリエンタルホテルで食事をしている時に地震が起きました。アトリウムで食事をしていたので木の葉がぱらぱらと落ちてきて、店員さんが「店の中へ入って!」と。それでもガラスが割れて落ちてはいけないと柱の陰へと誘導されました。
地震っていうと、私は戦時中に静岡で大地震(恐らく三河地震)に遭っているんです。当 時はデマが流れてはいけないと秘密にされてきた大地震で。あの日は祖母と家にいて、大きな揺れを感じました。それで怖くなって外に避難しましたがものすごく大きな揺れで… …そこらに生えている草をつかんで逃げたんです。今回の震災は、あの時のトラウマが蘇ってきましたよね。とにかく頭上に何もない場所へ逃げなければと思い、慌てて新浦安駅に避難しました。
道すがら、ダイエーからも人がどんどん出てきて道路は液状化が始まって。すると2度目の揺れが起きまして、更に水が噴きだしてきて膝あたりまで水がきました。駅周辺のビルなどもぐらぐら揺れていました。近隣のクリニックからもスタッフや医師が飛び出してきていて、でも彼らは半袖で寒がっていました。まだ3月の上旬でしたからね。そうしたらダイエーの方たちが売り物の毛布などを「使ってください」と提供してくれまして。値札がついたままの物を。
教え子と一緒に、オリエンタルホテルで食事をしている時に地震が起きました。アトリウムで食事をしていたので木の葉がぱらぱらと落ちてきて、店員さんが「店の中へ入って!」と。それでもガラスが割れて落ちてはいけないと柱の陰へと誘導されました。
地震っていうと、私は戦時中に静岡で大地震(恐らく三河地震)に遭っているんです。当 時はデマが流れてはいけないと秘密にされてきた大地震で。あの日は祖母と家にいて、大きな揺れを感じました。それで怖くなって外に避難しましたがものすごく大きな揺れで… …そこらに生えている草をつかんで逃げたんです。今回の震災は、あの時のトラウマが蘇ってきましたよね。とにかく頭上に何もない場所へ逃げなければと思い、慌てて新浦安駅に避難しました。
道すがら、ダイエーからも人がどんどん出てきて道路は液状化が始まって。すると2度目の揺れが起きまして、更に水が噴きだしてきて膝あたりまで水がきました。駅周辺のビルなどもぐらぐら揺れていました。近隣のクリニックからもスタッフや医師が飛び出してきていて、でも彼らは半袖で寒がっていました。まだ3月の上旬でしたからね。そうしたらダイエーの方たちが売り物の毛布などを「使ってください」と提供してくれまして。値札がついたままの物を。
●液状化。自宅前には泥があふれ出ていた
教え子の娘さんは高洲に自宅があり、心配だというので帰しました。ただ、家がどうにかなっていたらまた戻ってきてと言って。彼女を見送って私は一人、どうしたらよいのかその場で考えていました。余震や液状化もありましたしね。1 時間ほどはそこにいたと思います。そうして自宅に帰ると、ご近所の方が外にいて、家の前には噴き出た泥が山のように堆積していました。しかもまだ泥が水と一緒に湧き出ている状況で、それがうちの車庫にどんどん流れ込んでいたんです。ご近所さんたちは、うちの玄関に泥が流れ込んではいけないとその湧き出ている泥を撤去してくれていたんです。
●津波に備えて避難場所を巡った
当日は電気と水道が止まっていて、夜になると真っ暗。トイレも使えないですし家の中は泥だらけ。津波が来るかもしれないから、近所の小学校が校舎を解放していたのでそちらへ行きました。ところが教室の中は床に新聞紙を敷いただけで寒くて。そのうち、ここは危ないから若潮公園に避難してくださいということになって公園に行きました。ところが 公園にも人がたくさん避難してきていてどうにもならず、結局自宅に戻りました。