日の出在住 80代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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日の出在住 80代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000180
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●震災後半月ほどホテルに避難した
水が止まっていましたから、翌日からはバケツを持って自衛隊の給水車に並びました。でも3日ぐらいで自衛隊は撤収してしまいました。東北へ派遣されたんですね。その後は、学校の給水タンクの配管が割れたところから出ている水を汲んでいましたがこれも足りません。あまりに生活が不便ですから、3月16日はホテルに1泊したんです。それがやっぱり快適だったものですから、翌日以降も泊まろうとしたら「翌日以降は満杯です」と。それで、海外に赴任している息子がそのホテルにかけあってくれて、半月ほど部屋をおさえることができました。ですので、震災数日後から半月間はホテル住まいをしながら、日中は自宅の片づけなどをやっていました。
●街を粉塵が覆ってひどい状態だった
液状化で出た泥や砂なんかが乾くと、粉塵が待って大変でしたよね。街やダイエーの中なども白くかすんで。ちょっと外を出歩くと頭が真っ白になるくらい。私と娘はアレルギー 持ちなもんですからクシャミと涙が止まらなくて。マスクやメガネが手放せませんでした。
●学生ボランティアたちの姿に感動
あの震災のときは人の温かさを実感しましたよね。余震が続く中、自宅前の泥をかいてくれたご近所の方々。震災後すぐに近所の学校や道路にたまった泥を、大学生の若い子たちがみんなで撤去してくれました。あまりに感激したので「あなたたちはどこから来たの? 何をしているの?」と聞いても「学生です。泥があっては通るのに困るでしょうから」と黙々と作業をして、終わるとどこかへ帰って行く。うちの近所の通りを全部きれいにして いってくれたんです。
震災のあと、全国の知人や教え子の方たちから物資を送っていただきました。水はもちろん、お野菜やお肉、調理されたお惣菜がクール便で届いたこともありました。誰かが困っていたらすぐに手を差し伸べるという精神がこの国にはあるって、改めて知ることができて感動したものです。本当の人の心をいただいたと思います。
なので、その後福島の被災地に布団やタオルや洗剤などの物資を送る浦安市のプロジェクトに参加しました。学校の校長先生が発起人になって立ち上げられたんですけど、月に1度、公民館に物資が持ち寄られて、それを仕分けしてからワゴン2台で東北へと出発します。