浦安鐵鋼団地協同組合様の体験談 今後について
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浦安鉄鋼団地 震災体験談 今後について
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インタビューを書き起こした記録です。
ファイルサイズ 239KB
コンテンツ番号 UT00000212
説明・要約
■今後への対応として
当社は事務所含めて倉庫なども直さなくちゃならないという被害はなかったのでそれですんだのですが、今後は経年劣化を含めて、一つ一つの修繕をしっかりやっていかなくちゃいけないというところを改めて思いました。 災害時の避難場所も含めて、避難訓練を行っています。従業員全員に避難用具一式を用意させています。やはり場合によっては会社に寝泊まりせざるを得ない状況が起こりうるということで、そのための食料を含めたモノの準備、備えはするようにいたしました。 地震の際、社員からはどうしても、帰宅したいという希望が強く出ます。そこをマネジメントも含めてどうするか、というのは課題です。近い人は帰すことが出来ると思うんですが、徒歩では帰れない、車で帰ろうとしても帰れないという状況は考えられますので、その際の対応は考えなきゃいけないと思っています。 事業を継続する上での計画、BCM的な世界では、緊急対応時は今言ったようなことくらいしかやってはいないのですが。
当社は、加工関係は外へ出してしまいました。浦安の埋め立ての上で、基礎を打つような高い機械設備は難しいというのが結論です。東金にも事業所があるので、そちらに機械設備を持って行って、ここは材料置き場と切断くらいの、機能を限った拠点にしました。 もともと浦安という地域は、そういう傾向にはあったのですけれども。
当社は、コアな事業所はここなので、リスクを避けるということはできてはいないのです。小口を含めて一杯お客様をもっているので、全部にきっちりリスクヘッジというのは、できていないですね。 そうした中でも事後的にやったのは、衛星電話を入れることです。僕もイザマップを作ったメンバーに入らせてもらって、FM放送なんかでも勉強させてもらった結果です。当時、一番は家族の安否が心配されて、どうしても家に帰るという従業員がいたりというようなことがあったので、従業員の許しを得て、きちんと管理していますが、お子さんなどのメールも全部出してもらいました。出張中であったりしても、衛星電話を介して、従業員の家族の安否が知りたいというような要求に対し、会社が中心となってご家族の安否を確認して、本人に連絡する。大丈夫だから、安心してゆっくり戻って来いなどと言うことが出来るような、情報管理と衛星電話の備えをしました。あとは、三日分くらいの食料と水と毛布というのを各自のロッカーに置かせて、三日くらいは会社ですごせるようにというようにしています。それを入れ替える時には自宅に持って帰ってもらうのです。水などは一年程度のローテーションで回しています。 安否確認と、情報と、帰宅するかどうかの判断といったものが一番迷ったので、情報を取れる状況というのを整備したと言うことになります。
浦安鐵鋼団地では地震速報の整備を進めています。ここは鉄を扱っているので、突然地震になったときに、重量物を積んでいるとか、のせる直前で、トラック上に人がいて、荷物が触れてしまったりとか、ばらけて、空中から何トンという鋼材が落ちてくる、荷崩れしてしまうというような可能性もゼロではありません。そのため、いま鐵鋼団地では地震が来る前のP波をとらえて、揺れる前にサイレンなどで警報を発し、現場を離れるというシステムをつくっているのです。それに伴って、AEDも社内に整備して、団地の中でもAEDのある場所のマップを作ったりしてやって当社でも説明したりしています。まだ完全には出来ていませんけど。 あとはそのイザマップを作った後の処理として、FM放送などを使って、進ちょく状況だとか、帰宅したほうがいいのか、しないほうがいいのかという判断をするツールをどう確保するかということを、僕としても会社としても研究している。かなり地震以前とは体制が変わったと思いますよ。
ふりかえりまして、当時は社員とその家族との連絡の橋渡しということが、できていませんでした。今後は情報をもらって管理しながら、その中心となって社員あるいはその家族を安心させてあげたいということを考えています。一度ああいうことは経験しましたので、当時いた社員に関しましては、そういう防災意識がとても高まったというのは役に立ったことです。今後活かすことで言えば、工場の分散化ということです。今、千葉県の八街市二カ所と、浦安二カ所あるんですけれども、関東大震災が来たときに本社機能がここで機能できるのか、ちょっと不安が残ります。そこで、本社が移転出来る用地というのは、昨年千葉県に確保しまして、東北地方に工場を一つ立ち上げて、浦安の主な本社機能を分散出来るように、何かあったとしても従業員や仕事を分散できるように今後進めていきたいと思っております。となるとここの利用価値というのはなくなりそうなんですけれど、それはそれで、鐵鋼団地として今後もよいように使っていきたいと考えています。
震災をうけて、三日分の寝泊まりができるよう、各事業所整備しました。また、当時は決めていなかったのですけれど,避難経路については各事業所全部決めました。 浦安がそういう地盤であるというのはどうしようもない。出て行くわけにもいかないですからね。そういう意味では地盤もしっかりしている茨城の方の機能強化、機能集約をしています。茨城がだめになった場合どうするのっていうのもあるんですけれど、なかなかそこまで面倒を考える事もできません。
■市に対して要望
当時の理事長が市に電話して、仮設トイレを市から借りて設置をしたんですけど、あれはちょっと安物すぎて、使用に耐えなかった。結局は、浦安鐵鋼団地でも、自分の会社でも、工事現場で使うプラスチックのトイレを使わないと無理だったですね。
当社もそうですね、最初はみんな、特に女性が喜んだんですよ。トイレがなかったから。しかし、ちょうど春一番の時期であったこともあり、風で倒れました。水も出なかったし、倒れるとその後大変なことになってしまうんですよ。
僕は浦安市民ではなかったけれど、助成的な面で、個人はしっかりとそれなりのものがあるのですが、法人向けは一切ないのです。致命的な打撃を受けたところは倒産まで行ってしまうのかなあと、そのへんがまたどうなるのかと心配です。
そこが一番大切なところで、実際、銀行からも相当借り入れをしましたし、被害という意味では数千万円以上出ていますので、何とかしてほしかったなというのはあります。
あの時は銀行がお金を貸してくれたからよかったけど、そういう不安はありますね。
市の対応としては、他の被災地に比べれば割と浦安は早かったんじゃないかな。そういう意味ではとても助かったと思う。ただ、当社も第二鐵鋼団地なんですけど、市が管轄しているところと企業庁が管轄しているところで対応に温度差がありました。 第一鐵鋼団地は管轄している市の対応が早かったので、残土の山が半分くらいなんです。 一方、第二鐵鋼団地は、企業庁に頼みに言ったんですが、最初、嫌な顔しているんですよ。しょうがないでしょうって。港の方も企業庁なので、業をにやして自分のところで処理したところもあったでしょう。ある会社は自分でトラック出して残土を捨てに行っていました。半年くらい放置してあって、ラチがあかないからね。
砂が液状化で出てしまったので、あとが空洞になって、落とし穴みたいになっているのじゃないかと疑いました。重量物を扱うから、それは怖かったですよ。
自分のところではなんとかコンクリートを手配してきて流し込みました。コンクリートは最初のうち手に入れるのが大変で、商社の協力でようやく手配ができました。
いまでも一部は道路が直ってないですよね。計画が遅れ遅れで、三月末までにおわるよ、というのが夏だとか秋だとかという話になってしまいました。私どもは地盤がずれちゃっているんで、そっちの方を直してもらわないと、自分の方の敷地も直せないでそのままのところがまだ残っているんですよね。もっと早く対応してほしいです。そもそも線引き自体も結構時間かかりましたからね。大変なことなんだとは思いますけどね。
地盤の改良までやっているところはないですよ。費用がゼロでないから。 杭打って、重量物を積んであるから、どかして、やりなおすなんて大変なことです。地盤改良なんていったって、本来深く掘ってやらないといけないでしょう。あたらしいところは何メートルもやりましたけど、古いところでなおしたのはほんの表面ですよ。コンクリートでは高価なのでアスファルトでやってみたりしました。あとは費用対効果の問題でしょうね。
今、護岸が問題になっています。海面と接しているところにクラックが入ると、そこから海の水がどんどん入ってきてしまう。砂だったら流出して空洞化がどんどん進むんですよ。地震がきっかけとしてなるんだけれど、地震の後に空洞化した箇所は地震の被害の範囲ではなくなるので、対処も自前でやらなければならない。
基本的には自分の会社のところは、自分でやらねければならないわけですが、組合でもいろいろ画策しているところです。一社やるだけで相当の費用と、引越等含めて相当の労力がかかると思う。
組合全体としては、地震後イザマップを作ったり、緊急地震速報装置を全社に配置できないかといろいろ見積もりしています。 また、屋上に避難階段をつけたり、衛星電話を入れたり、近隣地域の分も含めて食料、水、ブランケットについては、300人くらいを備蓄しています。これにより、地域のセンター的機能を持たせたいと考えています。 組合が市との窓口、ホットラインとなって情報を密にとれるようにしておけば、ここに来れば情報が集まってくると言うようにしておける。 地震の時には市役所と電話が通じませんでしたからね。何かあったときには何度も行ったり来たりしました。
備えあれば憂いなし、です。一度経験したから次への備えができる。 一方で、イザマップをつくるときに津波でどこまで水がくるか、想定したんです。高い場所をリストアップして受け入れてもらえるかの交渉をしようという話もしたんだけれど、それはもうはずそうということになりました。災害対策もどこまで考えてやるかによって全然違うのです。自宅に帰ろうとして災害に遭うケースもあるからね。 とにかく情報が大事だという話なので、たとえば社員を、帰らせた方がいいのか、とどまらせた方がいいのか、その判断をもらえないと困るという話になった。そこが一番鍵になると思います。たとえば、橋が落ちていたら陸の孤島になってしまって、大変なことになるから。そこらへんどうするかっていうことですよね。
今後、陸上がだめでも、海はあるから、船で移動できたら楽だよねえということは感じました。岸壁もありますし、船があればよかったのに。そこは行政が調整してほしいなあ。
前回は、不幸中の幸い、人的被害がありませんでした。それはゆらゆら揺れたからですね。今度、どかんと来ると、荷崩れしたりする可能性があります。それに対しては揺れを五秒でも十秒でも早く分かればいいというので、緊急地震速報の配備をすすめているところです。 あのとき、鐵鋼団地内でも荷崩れはかなりしてます。また、地震のあとの片付けで一人亡くなっています。液状化で地盤がぬるぬるしているところで、すべったり、転んだりの怪我とか、そういうのもあった。後の片付けしようとして事故を起こしてしまったりね。
東北の被害を考えれば、被害といってもしれていますがね。川を隔てて葛西臨海は何の被害もない。計画停電だってむこうは何の被害もなくて煌々とついている、こっちは真っ暗だって言うのは理不尽な気がしましたよ。
個々の会社は緊急対策をしっかりやっていく必要がありますし、市との連携を組合事務局をセンターにやっていく。それ以外、大きなところは我々にはできないですからしっかり訴えていきたい。一回来たら来ないというものではないようですから、また液状化するでしょう。しかしまずは人命ですよ。それでも億単位の費用が生産性のないところで発生するという事態ですから、ぜひソフト面でも支えていただきたい。