写真集
『GREAT HIMALAYA』
白籏史朗/写真 朝日新聞社 1993年(画像の無断転載禁止)
世界最高の山脈、グレート・ヒマラヤ。この偉大で美しく危険な山々は、ヒマラヤに魅せられた多くの登山家をある時は受け入れ、ある時はのみ込んでしまう。山岳写真の第一人者・白籏史朗が600日の取材行の末に織り成した、100点の高峰たち。 31ページの 写真に載せられているギャチュン・カンでは、前出『垂直の記憶 岩と雪の7章』の著者山野井泰史が、登頂後雪崩に巻き込まれ、壮絶な闘いの後、無事生還を果たした。
『わがエベレスト』
加藤保男/写真 読売新聞社 1984年
『雪煙をめざして』の著者加藤保男が、チョモランマ頂上で両腕を伸ばして写した自身の顔がとても印象的な写真集だ。その顔は凍傷になりかけて、紫色に黒ずんでいる。喜び一杯というよりも疲労困憊といった感じを受ける。ここまでして山に登る人がいる。それは現在も後を絶たない。『雪煙をめざして』と共に読むことで、彼の登山の光景がさらにリアルに迫り、登山仲間の言葉から、生前の人柄が伝わってくる。
『宇宙の富士山』
大山行男/写真 山と渓谷社 2006年
夕暮れの雲海に浮かぶ富士山、星降る夜空の元の富士山、月明かりの中の富士山、日の出の黄金色をバックに美しい裾野を広げる富士山…。夕暮れから暁までの間、様々に表情を変える富士山を写した写真集。その姿はまるで宇宙と交信しているかのように神秘的だ。
『わたしの山の博物誌』
水越武/写真 新潮社 2009年
辺境と言われる地域を撮影し、半世紀以上に渡って世界の山を撮り歩いてきた山岳写真のパイオニアが、日本国内の山々に想いを寄せて綴った写真集。高山の厳しい環境の中で、必死に生きるものたちの力強い姿はもちろん、極寒の雪山が織り成す驚異の自然の姿は圧巻である。四季折々の自然の中でどっしりとかまえる山の厳しさ、優しさ、美しさが、親愛の情とともに伝わってくる。
『穂高 光と風』
水越武/写真 グラフィック社 1986年(絶版)
岩肌を吹き上がる雪風、屹立する稜線。雄雄しく、美しく、このモノクロの写真集の中に穂高はある。「愛しても愛しきれない、登っても登りきれない、写しても写しても撮りきれない」と、著者は1966年から20年に渡り穂高を撮り続けた。山に住む神か魔物か、写真家を惹きつけたものは何か。目の前に迫る雪の穂高に、写真家自身の人生を垣間見る思いがする。序文井上靖。
『わが八ヶ岳』 2000メートル山岳・四季の魅力
田辺邦彦/写真 山と渓谷社 1992年
首都圏から近く登山客からも人気の高い八ヶ岳は、本州中部に位置する独立連峰である。ただ美しいだけではなく山の自然は厳しく、季節による変化も強烈である。冬は氷雪におおわれ冷たい烈風が吹き荒れる横岳稜線も夏には可憐な高山植物を咲かせ、一面花畑となる。春夏秋冬1年を通じての八ヶ岳の深い魅力がつまった1冊。
『一山一華』
日本山岳写真集団/写真 朝日ソノラマ 2002年(画像の無断転載禁止)
一面の高山植物、雪山と桜、幻想的な霧氷…山で出会った<華>は、下山してからも心の中に強い印象として残る。そんな一瞬を、山岳写真初のプロ集団、日本山岳写真集団が捉えた。鳥海山とニッコウキスゲ、白馬岳とミヤマキンバイ、苗場山とワタスゲ…。この風景に出会うために山に登りたくなる。
『雲取山』
宮崎稔/写真 日本経済評論社 2008年
「太い幹は蒼古として白い粉をふいている。夕方近くなって静かなほの暗い樹間には霧が流れてきた。足ざわりの柔らかな腐植土を踏んで行きながら、「あ、ここが秩父だな」と感じた。」(『一日二日の百名山』)と、深田久弥が書いた雲取山。東京、埼玉、山梨三県の境に位置するこの山の見せる、美しい表情をとらえた写真集。
『上高地』
富山愛子/写真 東方出版 1994年
人を寄せ付けぬ切り立った岸壁・深いクレパスなど、自然の驚異を目の前に見せてくれる写真集も良い。しかしこの本は、ただひたすら上高地の美しさを切り取った写真集だ。日本近代登山の父ウォルター・ウェストンに愛され、今も多くの人を惹きつけてやまない上高地。梓川河畔から聳え立つ雪を頂く峰々、新緑の、初秋の、四季折々の美しさが憧れを誘う。自分の足で行けなくても、目でみることができなくても、ストイックで純粋な写真家の目で彼の地を楽しむことができる。串田孫一の序文あり。
『浅間山』
新井幸人/写真 銀河書房 1988年
浅間山は、長野県と群馬県にまたがる活火山である。群馬県生まれの写真家新井幸人は、長年尾瀬を撮り続けているが、尾瀬を「静」の山域とするなら、浅間山は「動」の山だと例える。浅間山の三分の二くらいの山麗から見る風景は、見る位置によってさまざまに変化する。白く雪化粧した浅間山、嬬恋のレタス畑や稲刈田の奥に雄大に広がる浅間山の姿は、見る人に親しみと郷愁を感じさせる。