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日本の総理大臣あのとき誰が決断したか1

画像:宰相若槻礼次郎 ロンドン軍縮会議主席全権

「宰相・若槻礼次郎 ロンドン軍縮会議主席全権」

豊田穣/著 講談社 1990年

 爵位のない総理誕生に「2人目の“平民宰相”」と言われた若槻礼次郎。(1人目は原敬)幼少の頃からやんちゃで楽観的な性格でしたが、貧しく試練が多い青年時代を送ります。その忍耐強さを見込まれ、若槻家に婿養子に入り結婚。大学在学中に父親となるも、東大を開校以来の優秀な成績で卒業しました。ガリ勉もせず酒はよく飲む。頭脳明敏な礼次郎が官僚から政治家、第1次、第2次若槻内閣へ至るまでの生涯を綴った1冊です。

画像:話せばわかる 犬養毅とその時代 上・下

「話せばわかる 犬養毅とその時代 上・下」

山陽新聞社/編 山陽新聞社 1982年

 五・一五事件で凶弾に斃れた、時の首相犬養毅は、目の前で自分に銃口を向ける青年将校に「話せばわかる」と語りかけました。「問答無用」と銃弾を浴びるものの、毅然とした態度を崩さず、自由の利かない体でたばこを吸おうとさえしたといいます。  本書は事件から50年目に、山陽新聞に連載されたものをまとめています。資料や生の証言をふんだんに盛り込み、犬養が実現しようとしていた政党政治、民主政治が、軍部のファシズムに呑み込まれていくさまを、丹念に描いた作品です。

画像:「無念なり 近衛文麿の闘い」

「無念なり 近衛文麿の闘い」

大野芳/著 平凡社 2014年

 史上2番目の45歳という若さで総理大臣に就任した近衛文麿。就任当時は陸海軍、政財界からも支持を受け、国民の期待度は非常に高いものでした。しかし、今日に至る歴史的評価は「優柔不断で無能」と低いものばかりです。戦犯として出頭予定日未明に服毒自殺を図った文麿が最後に書き残したのは?「僕の志は知る人ぞ知る」という文麿の開戦回避の努力や東條英機暗殺計画の裏側、精魂を注いだ憲法改正についても書かれた評伝です。

画像:「家族愛 東條英機とかつ子の育児日記・手紙より」

「家族愛 東條英機とかつ子の育児日記・手紙より」

東條由布子/著 春日出版 2009年

 戦後、A級戦犯として訴追・処刑された東條英機。その妻かの子が長男英隆を身籠った時の喜びから、小学校に入るまでの日々を夫婦二人で書き綴った育児日記と、息子への絵葉書、新婚当初の手紙などが遺されていました。それを孫娘が編集し、現代文に訳したものです。原文のまま掲載されている息子と嫁あての遺書には、家族への深い愛が感じられます。時代により家族の在り方は変化しましたが、それでも変わらない夫婦愛の形を見ることができます。

画像:吉田茂 ポピュリズムに背を向けて

「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」

北康利/著 講談社 2009年

 吉田茂といえば、戦後の混乱期の日本で長くにわたり総理大臣を務め、現職の安倍晋三首相が就くまで、戦後唯一の再登板を果たした総理大臣でした。彼の長い任期中にはさまざまなことがあり、人気も上がり下がりしましたが、この本では彼の頂点ともいえるサンフランシスコ講和条約締結までを、その人柄を中心に丁寧に追っています。外交官時代、戦争がとうとう回避できなくなったときのイギリスの外交官とのやり取りは胸に沁みます。

画像:「戦う石橋湛山 昭和史に異彩を放つ屈伏なき言論」

「戦う石橋湛山 昭和史に異彩を放つ屈伏なき言論」

半藤一利/著 東洋経済新報社 2008年(新装版)

 第55代総理大臣・石橋湛山の就任期間はわずか65日。超短命内閣のためその評価は難しいですが、戦時下においてなお積極的財政論、反戦反軍思想、小日本主義思想を貫いた言論人としての評価は高く“野人首相”として人気がありました。本書では昭和5年のロンドン軍縮会議調印から満州事変、満州帝国成立を経て、昭和7年の国際連盟脱退までの流れの中、戦争賛美に傾いていく言論界で孤軍奮闘した石橋湛山の姿を描き出します。

画像:六〇年安保闘争の真実 あの闘争は何だったのか

「六〇年安保闘争の真実 あの闘争は何だったのか」(岸信介)

保坂正康/著 中央公論社 2007年

 著者はこの本で、1960年の安保闘争の理由の一つに「反岸首相」を挙げています。当時、日米安保条約改定を強行採決に持ち込んだ岸信介首相。岸内閣の強圧的な政治に、国民の間で戦後民主主義の解体への恐怖感が広まり、反対運動が盛り上がっていきました。副題「あの闘争は何だったのか」とあるように、安保闘争の発端から終焉までをつぶさに検証して、一般市民をも巻き込んだ歴史的事件を探っていきます。

画像:「池田勇人 所得倍増でいくんだ」

「池田勇人 所得倍増でいくんだ」

藤井信幸/著 ミネルヴァ書房 2012年

 「国民総生産が2倍以上になるように、経済成長実現への環境や条件を整える」−それまでの首相が経済政策を中心にしたことがない中で、所得倍増政策を唱え、日本を高度経済成長へと導いた政治家・池田勇人。京都大学卒業後、大蔵省に入省するも病に冒されますが、奇跡的に回復し、その後政界へと転身を遂げました。「貧乏人は麦飯を食え」等の失言で非難もされましたが、最後まで経済自由主義を貫いた彼の生涯を描きます。

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