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本人による闘病記

人は困難な病に侵されたとき、何を考えるでしょうか。回復のための治療方法を探して一縷の望みを抱く一方、病状によっては、あきらめを感じる人がいるかもしれません。家族への感謝、自己への反省、病気に打ち勝とうという強い気持ちと、「もうだめかもしれない」という弱い気持ちなど、様々な感情が複雑にからみあいながら、病と闘っているのでしょう。本人による闘病記は、当事者しか感じることのできない、「病気に対する思い」を知ることができます。
画像:ふたたびの生

ふたたびの生

柳澤桂子 草思社 2000

めまい、しびれ、触覚麻痺――柳澤桂子は病院を転々とするも、約30年ものあいだ、様々な診断名のもとに入退院を繰り返すだけで、病因の解明がつかないままだった。やがて、全身の激しい痛みに加え食事を取ることもできなくなり、寝たきりとなってしまう。果てしない苦しみからの解放と中心静脈栄養で生き続けていることへの疑問から死をも覚悟したが、1人の精神科医との出会いによって彼女は奇跡的に回復していく。生命科学者である著者が、自らの「生と死」に向き合った闘病の記録。

画像:椅子がこわい

椅子がこわい

夏樹静子 文藝春秋 1997

ミステリ作家夏樹静子を突然襲った腰痛。座ることも立つことも眠ることもままならず、絶えず押し寄せる激痛。整形外科、鍼灸治療、温泉療法…、はては祈祷まで試みるが効果なし。著者は自殺まで思い詰め、横になったまま、段ボールに括り付けた原稿用紙に記録を書きつける。3年間の苦闘の末、たどり着いた医師はいう。「夏樹静子の葬式を出しなさい」。作家のドキュメンタリーだけに、大げさな病状表現かと思いきや、あまりのリアリティに引き込まれる。治癒の過程はなんとも不思議だが、人間の身体に勝るミステリはないという皮肉に唸らざるをえない。

画像:かいかい日記

かいかい日記

窪島誠一郎 平凡社 2008

かゆみの症状は誰もが経験したことがあるだろうが、それが全身に永続的に続くとしたら、その苦しみは想像に難くない。‘乾癬’という病に悩まされる著者の窪島氏は、夭折画家・戦没画学生の作品を展示する美術館―信濃デッサン館・無言館―の館主であり作家。病気は、無言館の設立と同時期に突然発症したが、原因は美術館設立に伴う心労からなのか、あるいは作家の父水上勉の遺伝なのか。闘病を通じて様々な人々との出会いをユーモラスに語りながらも、乾癬という手強い病の恐ろしさを訴える。闘いはなかなか終わらない。

画像:がんと闘った科学者の記録

がんと闘った科学者の記録

戸塚洋二/著 立花隆/編 文藝春秋 2009

ニュートリノ観測でノーベル賞を確実視されていた物理学者が、最後の11カ月に綴った記録。著者は大腸がんの発見・手術から7年、入退院を繰り返し、肺や骨、さらに脳への転移が判明する前後から、匿名のブログに闘病記を綴った。本書はルポライター立花隆氏が、死の直前の著者と対談した内容に、ブログ遺稿からの抜粋を加えて、編集したもの。著者は科学者として、自らに加えられる化学療法、投薬量、副作用、効果などを克明に記録し、死を客観的に対象化するとともに、患者としての率直な心境を吐露している。ブログは人生論・医学論・科学論・宗教論、草木の観察記など、幅広く奥深い。学者として生き、学者として亡くなった著者の人生、そのあくなき探究心に、心打たれる。

画像:おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒

おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 江國滋闘病日記

江國滋 新潮社 1997

この日記は1997年2月5日、食道癌告知の前日に始まり、半年に及ぶ闘病生活が自然体で克明に綴られている。随所に記された療養句は五百を数え、死の前々日に詠まれた辞世の句が書名にとられた。また、随筆家で俳人である著者があらかじめ書き残していた死亡記事と追悼句が掲載されており、闘病中にも関わらず最後までユーモアに溢れる人生であったことが想像される。俳号は酒好きらしく「滋酔郎」といい、没後出版された本書は、句集『癌め』と共に遺作となった。

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