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事件を追う

家族が病に侵されたとき、人は何を考えるでしょうか。愛する人が苦しむ姿を見るのは、とてもつらいことです。代わってあげることができないもどかしさを感じるかもしれません。回復のあかつきに喜びが待つか、悲しい結末が待っているか、それは分かりません。けれども、病気の家族を励まし、いたわり、共に闘うという気持ちもそこには存在します。家族による闘病記は、かけがえのない人との愛の記録でもあり、同じ境遇の人たちにとっても励みになるでしょう。
画像:妻を看取る日

妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録

垣添忠生 新潮社 2009

国立がんセンターの総長だった著者は、定年退職後妻とふたりで第二の人生を楽しもうとしていた矢先、その妻を肺小細胞がんで亡くした。本書は長らくがん治療に携わってきた医師自身が家族をがんで失った悲しみから再生していく貴重な記録である。また、がん治療の専門家であり、患者の家族でもある立場から日本のがん対策や残された人の悲嘆に対するケアなど、広範囲な問題を提起する。現在の著者は財団法人日本対がん協会会長、財団法人がん研究振興財団理事として日本のがん対策に取り組んでいる。

画像:山本七平ガンとかく闘えり

山本七平ガンとかく闘えり

山本れい子・山本良樹 山本書店 1999

1990年、評論家として多忙な毎日を送っていた山本七平は、胃痙攣による入院で膵臓ガンが見つかり手術を受けた。術後は体力回復のための治療やガンに効果が期待されると言われる丸山ワクチン(医療品としては未認証)の接種などさまざまな治療法を試みる。しかし、翌年再発。リンパ療法に望みをかけるが、もはや体力は限界にきていた…。
最後の痛みとの闘いは壮絶。七平が残した「「生きる」ことは「死ぬ」ということよりも易しいことだと思っていた」という言葉通り、生き抜くことの苦しさが表れている。七平の妻れい子と息子の良樹による、ガン発見から自宅で看取るまでの記録である。

画像:数字と踊るエリ

数字と踊るエリ

矢幡洋 講談社 2011

臨床心理士の著者の娘、エリは自閉症だった…。噛み合わない会話を続け、自分の世界でのみ遊ぶエリ。君が社会生活を送れるようになる日は来るのか?自問自答しながら、著者は病床の妻と自閉症に挑んでゆく。しかし、その世界の壁は厚く、堅かった。成果が見えない療育をあきらめずに、オリジナルの教材を作り、チャレンジし続ける著者の熱意と努力に胸打たれる。長い戦いのなかで、エリの力はゆっくりと育まれていく。

画像:介護されていたのは、僕だったのかもしれない

介護されていたのは、僕だったのかもしれない

川田泰輔 経済界 2011

どこにでもあるような一家族に突然降りかかった「うつ病」という病。 著者の妻は2002年にうつ病を発症するが、初期治療の失敗により重症化させてしまう。発症当初から2年間は精神科閉鎖病棟への入院、4度の再発と、うつ病患者をささえる家族として様々な苦難を味わうが、それを乗り越えた7年間の記録である。 現在は、回復した妻と「うつ病家族サポートセンター」を開設。「うつ病支援アドバイザー」として、うつ病に苦しんでいる人、介護に苦悩している人へのボランティア活動を行っている。

画像:闘病記専門書店の店主が、がんになって考えたこと

闘病記専門書店の店主が、がんになって考えたこと

星野史雄 産経新聞出版 2012

著者は闘病記専門の古書店『パラメディカ』の店主。全国の図書館や病院に「闘病記文庫」を設置する「健康情報棚プロジェクト」のメンバーでもある。 2010年に著者は大腸がんを発症した。多数の闘病記を読み込んできた著者自身による闘病記は、がんの発見と転移、手術と入院生活、術後の治療と副作用、がんの再発と再手術といった体験がわかりやすくまとめられている。また、著者が古書店を開業するきっかけとなった、亡き妻の看病の記録や闘病記についての考察にも触れている。巻末には著者が推薦する闘病記のリストを掲載している。

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