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評伝・自伝

  黒澤明監督が、自分の映画への思いやライフスタイルについて書いた本や、周囲の人々から見た、黒澤監督の人柄などを書いた本を紹介します。
画像:『蝦蟇の油 自伝のようなもの』

『蝦蟇の油 自伝のようなもの』

黒澤明/著 岩波書店 2001年

   著者68歳で書いた半生記。東京大森で生まれ、末っ子で金平(こんぺと)さんと呼ばれる泣き虫だった幼少時、剣道・絵・映画にのめりこんでいく青年時代までが前半。後半は映画の道に入り、山本嘉次郎監督に師事しながら映画の粋を学び、「羅生門」を監督するまで。 大正から昭和の初期、関東大震災、太平洋戦争、敗戦と激動する時代を背景に、明るくまっすぐな性格とナイーブな感性を持った著者が、本や人に影響されながら、時に迷い、挫折しながらも、我が道を貫いていく姿が率直に語られている。

画像:『キネマ旬報セレクション 黒澤明』

『キネマ旬報セレクション 黒澤明』

キネマ旬報社/編 キネマ旬報社 2010年

   黒澤明というと、「巨匠」「鬼才」「世界のクロサワ」と評される。近寄りがたく厳しい印象であるが、読むうちに全く違った面が見えてきた。不思議と関わったスタッフ、キャストとも恐いという印象を持ってはおらず、よく話を聞き、納得のゆくまで意見を交換したと、監督について語っている。さらに、スタッフや俳優の面倒もよく見ており、後輩を育てることも惜しまなかった。強いこだわりを持ち妥協を許さないという点では厳しい監督だったかもしれないが、映画や、観客に対して真摯であり続け、真剣に向き合った映画人であることを、黒澤明と関わった人たちが追想を寄せている。

画像:『パパ、黒澤明』

『パパ、黒澤明』

黒澤和子/著 文藝春秋 2000年

   風呂嫌いでシャワーは浴びてもなかなか風呂に入らない。たまにはとせっつくと烏の行水。孫には、ルパン三世のことから今時の若い人の言葉に至るまで、あれこれと質問する。現場ではせっかちだが、日常は一つ一つを丁寧に生きる人であった、など黒澤明の様々な顔が浮かび上がってくる。母亡き後は、兄とふたりで黒澤明を支えた。 健啖家の父のために毎日料理を作り、黒澤組に加わってからは身の回りの世話と衣装の仕事をし、黒澤家のテーマ「楽しく良い映画を撮ってもらう」ことを守り続けた娘を通して見えてくる、巨匠黒澤監督のもうひとつの姿を綴った本。

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