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清張を追う

清張は、小説やノンフィクションの執筆だけでなく、全国各地での講演や他の作家たちとの対談の中で自身の作品に対する考えを話していました。清張が公に語っていたのは、作家は何を書くべきかということでした。作品を書くにあたって綿密な調査や取材をしていた清張は、日記に取材メモや覚書き、作品構想、紀行文など、ふと考えついたり、興味を持って見聞きしたありとあらゆることを記録していました。また、自らの貧困や学歴、数回の転職、徴兵による戦争体験など苦労の多かった半生についても臆することなく書いています。これらを読むと、清張の考えや体験などが、作品にいかに生かされてきたかを覗い知ることができるでしょう。
画像:半生の記

半生の記

松本清張 新潮社 2004

大新聞社に勤めていても、印刷工という採用の違いで差別される。そこから這い上がって立派な人間になりたいと思っても、周囲の環境がそれを許さず、清張は次第に追い詰められていく…。生い立ちから、両親、家族のこと、そして作家として成功するまでの貧困と苦悩の生活を記した清張の半生記。生活が貧しく、小学校卒という学歴で小説家志望でもなかった清張だが、当時の社会や生きるための様々な体験、両親との関係等が作家松本清張を形作ってきたことがうかがえる作品。雑誌「文藝」に昭和38年8月から40年1月まで「回想的自叙伝」として連載された。

画像:発想の原点

発想の原点

松本清張 双葉社 2006

昭和51〜52年に雑誌「小説推理」「カッパまがじん」に掲載された対談4本を収録。佐野洋、五木寛之、井上ひさし、筒井康隆とそうそうたる作家たちが相手を務めている。小説については「事実の積み重ねが面白い」、ドキュメンタリーについては「(謎は)勘繰りでも、憶測でも、何でもいいから、一つのそういう主観を持って調べていかなければ、何も掴めない」と語る。文壇、推理小説界、伝承・伝説、あまり知られていない事件、海外作家などあらゆる分野に対し、その博識さも読み取れる。また、「最後まで友好関係を保っていけるという人間に会ったことがない」という意外な一面も。

画像:清張日記

清張日記

松本清張 日本放送出版協会

雑誌「週刊朝日」に昭和57年9月から59年4月にかけて掲載された、清張が71歳〜73歳の時に書いた日記を単行本化したもの。写真も併載されており、当時の取材の様子などがうかがえる。内容は、読書の手控えや着想メモ、井伏鱒二との交流など多岐にわたるが、朝日文庫版のあとがきに「古代史関係が多く、文学方面が少ないのも趣味からである」とあるように、古代史関係の取材メモが多い。現地に赴き自分の目で見て、関係者に話を聞き、事実を掘り下げていく姿は、清張の作品執筆にあたる姿勢として一貫していることが、この日記を読むとよくわかる。

画像:名札のない荷物

名札のない荷物

松本清張 新潮社 1992

雑誌「新潮45」に掲載された清張の随筆や日記、他雑誌での対談等をまとめて単行本化したもの。明智光秀の謀反に馳せる思い(「天正十年のマクベス」)や、栃木県の寺院に納められた難破船リーフデ号の木像にまつわる随想(「立ちどまる賢人」)などに、清張が捉えた「小説になりそうな、あるいは、なりそうでならなかった材料」と、人間への飽くなき探究心が垣間見える。「推理小説がトリックとか意外性だけではやはり物足りない。(中略)小説的な膨らみ、内容をそこに求めたい」という清張自身の言葉が心に残る。

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