浦安市立図書館

明治〜大正時代

1887(明治20)

『楊牙児(ヨンゲル)ノ奇獄』(「花月新誌」22〜36号)連載
日本最初の翻訳探偵小説といわれる。オランダの探偵小説集の中の一編を神田孝平が訳し、成島柳北(なるしまりゅうほく)が手を加え刊行された。刊本は『楊牙児奇談』に改題。

1888(明治21)

黒岩涙香「法廷の美人」を「今日新聞(のちに都新聞に改名)」に発表
黒岩涙香初の翻案探偵小説。涙香の翻訳は忠実な逐語訳ではなく、大胆なアレンジを加えたため翻案小説と呼ばれる。

須藤南翠『殺人犯』(正文堂)刊行
諸説あるが、日本初の創作探偵小説といわれる。

1889(明治22)

黒岩涙香「無惨」を発表
「法廷の美人」の好評に気をよくした涙香は、新聞記者のかたわら翻案探偵小説を続けて発表し、絶大な人気を博した。また、同年、本格ものの形式をそなえる創作探偵小説「無惨」を発表するなど、翻案のみならず創作においても日本推理小説史において涙香の果たした役割は大きい。



画像:無惨

無惨(『黒岩涙香探偵小説選1』)

黒岩涙香/著 論創社 2006

東京築地の川に男の惨殺体が浮かんだ。ベテラン刑事の谷間田は長年の経験と勘を頼りに、新入りの大鞆は科学的・論理的な推理で犯人を割り出そうとする。
海外ミステリーの翻訳や翻案を新聞に発表していた涙香が初めて書いた創作推理小説。明治22年発表ということもあり、句点がなく読みづらいのが難点。[初出 『小説叢 第1冊』 1889]

1892(明治25)

黒岩涙香「都新聞」を退社
都新聞を退社し、「萬(よろず)朝報」を興した涙香が探偵小説から離れて人情奇談ものに移って行ったため、探偵小説の流行も次第に鎮静化し、探偵実話時代に移行した。

1893(明治26)

「探偵小説」叢書刊行
探偵小説の流行は少なからず文壇文学にも影響を及ぼした。最も有名なのが尾崎紅葉門下の硯友社一派による“探偵小説退治”であった。探偵小説を氾濫させて読者を飽きさてしまえばいいとの論法で「探偵小説」叢書を刊行したが、その内容は涙香らの推理小説の面白さには到底及ばないものであった。

1899(明治32)

コナン・ドイルの『緋色の研究』が毎日新聞に訳載される
明治20年代半ばになると、涙香が翻訳探偵小説から離れてしまう。後を引き継ぐように丸亭(まるてい)素人(そじん)や南陽(なんよう)外史(がいし)などの翻訳者が現れたが、探偵小説ブームは徐々に下火になっていった。

1909(明治42)

モーリス・ルブランの怪盗ルパンが日本で初紹介される

1910(明治43)

フランス映画『ジゴマ』の大ヒット
『ジゴマ』は1911年にフランスで製作された活劇映画。日本でも封切られると大ヒットし、類似の映画が次々と作られた。また、この大ヒットをきっかけにアメリカの探偵活劇映画が盛んに上映されるようになり、大衆の探偵ものへの関心が高まったこともさることながら、映画の筋を小説化した本も無数に出版された。

1917(大正6)

岡本綺堂「お文の魂」を雑誌「文芸倶楽部」に発表
日本初の捕物帳である「半七捕物帳」シリーズの始まり。作中で半七は江戸のシャーロック・ホームズと語られている。

1918(大正7)

「中央公論」夏の増刊号秘密と開放号"刊行
芸術的探偵小説と銘打ち、谷崎純一郎や芥川龍之介、佐藤春夫などの作品を掲載した。谷崎は探偵趣味の短編を数多く書いており、のちの探偵文壇形成の原動力にもなった。また、芥川は怪談を好み、ポーを研究していたこともあり、初期の作品には怪奇・探偵趣味のものがみられる。

1920(大正9)

「新青年」(博文館)創刊
探偵小説専門誌ではなく、単なる青年雑誌として出発した「新青年」であったが、多くの翻訳探偵小説を掲載し、日本探偵小説発足の機運を作り、主たる作家のデビューの場となっていく。

黒岩涙香没

1922(大正11)

「新趣味」(博文館)創刊
日本最初の探偵小説専門誌であったが、僅か2年ほどで廃刊になった。

1923(大正12)

江戸川乱歩登場
デビュー作の「二銭銅貨」は「新青年」大正12年4月増大号に発表された。同年7月号に「一枚の切符」が掲載され、ここに日本の創作探偵小説は本格的な始動の時をむかえた。



画像:二銭銅貨

二銭銅貨

江戸川乱歩/著 講談社 1987

ある日、電気会社の給料、全額五万円が盗まれる事件が起きる。犯人は捕まったものの、金は一向にみつからない。友人の松村は私が置いた二銭銅貨にひらめき、なんと泥棒が隠した五万円のありかを探しあててきた。しかし、その金は…。
「南無阿弥陀仏」と点字を融合させた日本発暗号トリックで、江戸川乱歩の短編処女作。当時、森下雨村や小酒井不木らに絶賛された。[初出 「新青年」 1923]

1924(大正13)

甲賀三郎「琥珀のパイプ」を「新青年」に発表
化学技師である甲賀は、理化学的知識を駆使したトリックで本格派と注目された。「本格」「変格」の呼称は、甲賀が唱えた"本格探偵小説"に端を発する。



画像:琥珀のパイプ

琥珀のパイプ

甲賀三郎/著 春陽堂書店 1999

関東大震災直後の東京、嵐の夜に事件は起こった。 それは火災に始まり、一家三人の死体発見、そして事件は居合わせた探偵記者によって、以前新聞を賑わせた万引き事件へと繋がりを見せる。
探偵小説を定義づけるなど論客でもあり、「本格」という言葉は、純粋な論理的興味を重んずるものという意味で大正15年に甲賀が使い始めたと言われている。[初出 「新青年」 1924]

1925(大正14)

江戸川乱歩「D坂の殺人事件」を「新青年」に発表
名探偵、明智小五郎の初登場作。明智小五郎は講談の神田伯龍をモデルにしたという。この年、乱歩は「心理試験」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」などの名作短編を発表しており、初期の作品集『心理試験』が春陽堂から刊行された。

「探偵趣味の会」発足
江戸川乱歩らの呼びかけにより同人「探偵趣味の会」が発足する。その機関誌「探偵趣味」は当時の探偵小説作家はもちろん、広い範囲に同人を求めたもので、「新青年」とは違った意味で探偵小説の発展に貢献した。

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