戦後〜昭和30年代初頭
1946(昭和21)
探偵雑誌5誌創刊(「ロック」「宝石」「トップ」「ぷろふいる」「探偵よみもの」)
横溝正史「本陣殺人事件」を「宝石」に連載開始
横溝正史が創作に専念することになった節目の作品。名探偵・金田一耕介の初登場作でもある。この作品によって、日本の戦後ミステリー界の流れが本格・密室殺人になった。日本戦後推理小説の原点ともいえる作品。
本陣殺人事件
横溝正史/著 春陽堂書店(文庫) 1997
旧本陣の一柳家の長男・賢蔵と花嫁・克子が、結婚式の夜、惨殺体で発見される。犯行時刻に鳴り響いていた琴の音、3本指の血の手形が残された密室。いわくありげな一柳家の面々を向こうに、金田一耕助が謎を解き明かす。残忍な事件と金田一の人間くささのコントラスト、この「緊張」と「緩和」が横溝ミステリの真骨頂。[初出 「宝石」 1946]
第1回土曜会が開かれる
江戸川乱歩が主催した、探偵小説作家や愛好家のための探偵小説を語る会。昭和22年2月まで毎月土曜日に開かれた。
1947(昭和22)
探偵作家クラブ設立
土曜会が発展し、探偵作家クラブが結成された。創設時の会員は103名で、初代会長は江戸川乱歩が就任した。
探偵作家クラブ賞創設(主催:探偵作家クラブ)
その年の中で最も優れた推理小説に贈られる賞で、日本探偵作家クラブ賞、日本推理作家協会賞と名前を変え、現在まで続く。
角田喜久雄『高木家の惨劇』刊行
時代小説作家として著名な角田だが、デビューは推理小説であった。『高木家の惨劇』は加賀美敬介捜査一課長が初登場する本格長編。
1948(昭和23)
高木彬光『刺青殺人事件』刊行
戦後の推理小説家を先導した雑誌「宝石」から出発した戦後の本格大型推理作家。『刺青殺人事件』はデビュー作であり、名探偵・神津恭介初登場作。江戸川乱歩の推薦文付で刊行された。
『刺青(しせい)殺人事件』(『初稿・刺青殺人事件』)
高木彬光/著 扶桑社文庫 2002
刺青を彫った胴体部のないバラバラ遺体が、鍵のかかった浴室で発見された。発見者であり探偵小説マニアの松下研三と、天才探偵・神津恭介が難解な事件の解決に挑む。全編に漂う異様な雰囲気と、丹念に仕組まれた心理トリックが、読者に挑戦をしかけているようだ。
高木彬光のデビュー作品。文章の拙さを乱歩に指摘され、刊行から5年後に約2倍の長さに改稿した。[初出 岩谷書店 1948]
1949(昭和24)
『探偵小説年鑑』(岩谷書店)刊行 前年の短編小説の傑作選。その後、タイトルと出版社の変更があり、現在は「ザ・ベストミステリーズ推理小説年鑑」(講談社)として続いている。
1950(昭和25)
「新青年」廃刊
江戸川乱歩や横溝正史ほか、主だった探偵作家のデビューの場となり、戦前の名作の多くはこの雑誌で発表された。「新青年」の歴史は日本探偵小説の歴史ともいえる。
1953(昭和28)
「ハヤカワ・ポケット・ミステリ」(通称ポケミス)第1巻刊行
2015年10月現在1900巻におよぶ大叢書の第1巻目はミッキー・スピレイン『大いなる殺人』。日本人作家では浜尾四郎、小栗虫太郎、夢野久作、都筑道夫が収録されている。
1954(昭和29)
江戸川乱歩賞創設(主催:日本探偵作家クラブ)
乱歩の還暦祝いを機に、乱歩の基金提供により創設された。当初は広く探偵小説の発展に貢献したものに贈るという趣旨であった。
1957(昭和32)
仁木悦子『猫は知っていた』が江戸川乱歩賞受賞
江戸川乱歩賞が公募による長編推理小説の賞に切り替えられ、その第1号の受賞。日本初の本格女流作家登場と大きな話題になった。
猫は知っていた
仁木悦子/著 講談社文庫 1986
著者が病気で寝たきりの生活を送る若い女性ということで話題になった本作は、江戸川乱歩賞の公募長編作品初の受賞作。下宿先の病院でおこる連続殺人事件を探偵マニアの仁木兄妹が鮮やかに解決する、という本格ミステリーでありながら、リズミカルな筆致はそれまでの推理小説のイメージを変え、推理小説が広く一般に読まれるきっかけとなった。[初出 大日本雄弁会講談社 1957]