浦安市立図書館
浦安を変えた大きなできごと

その@ 浦安の概要

【位置】

 浦安市は東京湾の奥部に位置し、北は千葉県市川市と陸続きで接し、東と南は東京湾に面している。土地は旧江戸川の河口に発達した沖積層に属する低地と、その3倍に及ぶ公有水面埋立事業によって造成された埋立地からなっている。

【沿革】

 明治22年に堀江、猫実、当代島の三村が合併して人口5,946人の浦安村が誕生した。明治42年に町制を施行、昭和56年に市制を施行し、「浦安市」が誕生した。千葉県下27番目の市であり、市制施行当時、人口は65,662人であった。

 古くから遠浅の海を漁場として魚類や貝、海苔を採っていた半農半漁の漁村であった。しかし、公有水面埋立事業をきっかけに漁業権を全面放棄して以来、交通網の整備や都市開発によって急速に都市化した。また、大型リゾート施設の開発などにより国際色豊かな観光都市として目覚しい発展を遂げ、東京ベイエリアを代表する都市になった。

そのA 浦安と災害

 浦安の歴史は自然災害との闘いの歴史であった。
東と南は東京湾に面し、西は旧江戸川に接している地勢上、江戸川の氾濫と東京湾からの高潮による水害を受けやすく、度々、壊滅的な被害を受けてきた。
 特に大きな被害をもたらしたのは昭和24年9月のキティ台風であった。台風来襲時が満潮時にあたったため、潮位は大正6年の大洪水以来最高を示し、一気に高潮に襲われた。『災害と闘ってきたまち』によると人口15,260人のうち14,182人が罹災し、3,240戸のうち2,419戸が被害を受けたとあり、じつに浦安の7割以上が床上浸水した。この台風を契機として、本格的な河川堤防工事が行われ、強固な堤防が築かれた。
 また、昔は境川両岸に住宅が密集していたため、コレラ・赤痢などの伝染病や火事がひとたび起こると、周辺に広がりやすく大きな被害を受けてきた。

 
画像:『災害と闘ってきたまち 浦安市災害史調査報告書』

『災害と闘ってきたまち 浦安市災害史調査報告書』

浦安市教育委員会/編 1996年

 浦安市文化財調査報告書の第8集。浦安で起きた水害、火災、震災、戦災の報告書。それぞれの災害の概要と被害状況について、様々な資料をもとに詳しく説明されている。

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