浦安市立図書館
浦安を変えた、大きなできごと

そのD 都市整備と人口増加

 かつて浦安は東京湾に隣接するという立地条件でありながら、交通が不便であったため「陸の孤島」と呼ばれていた。明治、大正、昭和初期まで自然増による緩やかな人口増加を続けていた。しかし、漁業権の一部放棄による漁業者の転職や、昭和35年ごろから始まった地盤沈下のために離農者が増加するなどの要因が重なり、町の様相が大きく変わりつつあった。そして昭和44年に地下鉄東西線が開通したことにより、浦安は首都圏の住宅都市として急速に都市化し、人口が増加した。
 さらに、昭和50年代に入ると埋立地で大規模住宅開発が始まったため、急激に人口が増加した。そして、急増した埋立地の通勤、通学の足として、また、レジャー施設へのアクセスとしてJR京葉線が平成2年に開通すると、新浦安駅前は市の中心エリアとして、舞浜駅前は、市民生活の拠点としてはもとより、東京ディズニーリゾートの玄関口として都市計画に基づいて整備された。

画像:『水に囲まれたまち 浦安市交通史調査報告書』

『水に囲まれたまち 浦安市交通史調査報告書』

浦安市教育委員会/編 1996年

 浦安市文化財調査報告書の第9集。水上交通から陸上交通へ変化する浦安の交通史と浦安市としての発展過程を記録した資料。

そのE 東日本大震災

 平成23年3月11日(金曜日) 14時46分 地震発生。

 同日、15時50分に、市災害対策本部が設置され、被災状況の把握をはじめとする災害対策が始まった。市は全職員を災害対策に動員し、被災への対応に努力した。
 市内のライフラインは壊滅的な被害を受け、上水道の断水は約3万5千世帯、下水道の使用停止や一部制限が約3万7千世帯、ガスの供給停止が約5千世帯に上った。このほかに液状化による道路の損壊、住宅地が液状化したことによる家屋への被害等様々な被害が発生した。
 こうした状況を踏まえ、激甚災害法に基づく「激甚災害(本激)」指定、災害救助法の適用を受けることとなった。

画像:『浦安市地震防災基礎調査報告書 概要版』

『浦安市地震防災基礎調査報告書 概要版』

浦安市総務部防災課/編 2005年

 東日本大震災前の調査であるが、浦安市の地震防災について詳しい資料。詳細版も中央図書館で閲覧が可能。

 *東日本大震災についての浦安市関係の新聞記事と雑誌記事はレファレンス室で閲覧できます。

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