日本SF・創世記
第二次世界大戦後、米軍兵士が持ち込んだペーパーバックには、シェイクスピアからコナン・ドイルまで様々な作品があった。その中で一人の青年が運命的な出会いを果たす。海外SFファン1号といわれる矢野徹と、心の中で夢を描くファンタジー、そしてサイエンスフィクションとの出会いである。矢野は、敗戦直後の食べるものも満足にない貧しい生活の中、SFは多くの人に共通する生きるための糧となるものであると確信した。
そしてアメリカのSF雑誌編集長に手紙を書き、1953年9月世界SF大会へ招聘される。帰国後翻訳や創作を手がけると共に、江戸川乱歩の支援を受けて日本でのSFの普及に尽力することになる。
1950年代後半になると、SFファン層が広がり、1955年7月には日本空飛ぶ円盤研究会が発足する。一般会員の中には三島由紀夫、石原慎太郎、星新一らがいた。その中から柴田拓美発案により科学小説の同人雑誌として「宇宙塵」が創刊される。また、1960年6月には大阪で筒井康隆ら兄弟による「NULL」が創刊されるなど、日本人作家によるSFの発表の場が次々と作られた。
一方で元々社による『最新科学小説全集』の刊行や、早川書房による『ハヤカワファンタジィ』の創刊が一定の成果を挙げ、また1957年10月にソ連による人工衛星の打ち上げの成功などにより確実にSFの定着が進んでいった。
1960年の第1回空想科学小説コンテストで小松左京が努力賞として入賞し、また1962年には第1回SF大会が開催されるなど、様々な作家が誕生するようになる。しかし同時にSFに対する無理解や不当な批判もあり、こうした批判に総意として対抗するために1963年日本SF作家クラブが発足した。日本SF界の誕生である。
「宇宙塵」
宇宙塵 1957-2010年
1957年創刊のSF同人誌。作家で翻訳家の柴野拓美が主催する「創作科学クラブ(後に宇宙塵に改称)」が発行。創刊号では助言者として今日泊亜蘭を迎え、矢野徹、星新一らがSF小説やブックレビューを執筆した。発足時約20名だった会員は、1年度には100名を超え、トータルでは2000名を超える(退会者含む)。展示で紹介している作家以外にも、石川英輔、平井和正、豊田有恒、田中光二、半村良などそうそうたるメンバーが名を連ね、後に著名となるSF作家の作品発表の場であった。現在までに203号を刊行。
掲載作品の傑作集として、『日本のSF・原点への招待(全3巻)』(講談社、1977年)、『新「宇宙塵」SF傑作選(1〜2)』(河出書房新社、1987年)、『宇宙塵傑作選(全2巻)』(出版芸術社、1997年)がある。また、同誌の歴史をまとめたものに『塵も積もれば 宇宙塵40年史』(出版芸術社、1997年)がある。