小松左京
1961年、「SFマガジン」が主催した第1回空想科学小説コンテスト(のちのハヤカワ・SFコンテスト)に「地には平和」(単行本収録時に「地には平和を」に改題)で応募、選外努力賞となる。編集長・福島正実に目をかけられ、SF作家の道を歩み始める。自然科学や科学技術に関する最新の知見をベースに、極限下での人類と築き上げた文明の未来を巧みに描き出すことを得意とする。「社会基盤が崩壊したとき人間はどうするべきか」が、彼の小説の重要なテーマのひとつとなっている。阪神淡路大震災後には『小松左京の大震災’95』で防災情報の共有化を重視し、東日本大震災に関しても日本の復興を信じていた。2011年7月26日没、享年80歳。
『復活の日』
角川春樹事務所 1998年
摂氏5度で驚異的に感染力を強め、心臓麻痺で人間を死に至らしめるというMM−88菌。細菌兵器として開発されたこの菌が、あるアクシデントからインフルエンザのように蔓延し始め、やがて世界中の全人類が死に絶えてしまう。唯一残されたのは南極に残されたおよそ1万人だが、地球を覆い尽くすMM−88菌を前になすすべもない。果たして人類にとって「復活の日」はやってくるのか? 東西冷戦で核兵器が睨み合っている時代背景が結末への鍵を握っており、人間に対し「理性と分別」を求めるスミルノフ教授のラジオ講義のシーンが印象的である。1964年8月に書き下ろしとして早川書房より刊行された。
『日本沈没』
小学館 2006年
地球物理学者の田所博士は、地震の観測データから日本列島に異変が起きているのを実感し、調査に乗り出す。深海潜水艦操艇者の小野寺と共に小笠原沖の日本海溝に潜り、海底を走る奇妙な亀裂と乱泥流を発見する。そして研究の末、「日本列島は最悪の場合、2年以内に地殻変動で陸地のほとんどが海面下に沈降する。」という結論に達したのだった。日本列島がすべて海の底に沈むという未曾有の大災害、国土消失という有史以来誰もが経験したことのない事態を前に、1億2千万の日本国民は…。
1973年3月刊行の大ベストセラー。同年9月には筒井康隆がパロディ「日本以外全部沈没」を「オール読物」に発表、また2006年には小松と谷甲州との共著で『日本沈没第2部』が刊行された。
『果しなき流れの果に』
角川春樹事務所 1997年
永遠に砂が落ち続けていつまでも尽きることがない砂時計が、大阪南部の古墳跡から発掘される。しかも砂時計は白亜紀の地層から出土されたのだった。この謎を解明しようとした若き研究者の野々村は、歴史を改変しようとする勢力とそれを阻止しようとする組織のあいだで、激しく繰り広げられる時空を超えた戦いに巻き込まれてしまう。
歴史改変をめぐる戦いの時代は恐竜時代から未来世界まで渡り、物語も日本列島の沈没、失踪した船舶が永遠に漂流しつづける空間、太陽系滅亡を目前にした人類の前に現れた謎の宇宙人といった具合に目まぐるしく変化をする。また、本書は離れ離れになった野村とその恋人の運命を描いた壮大なスケールの愛の物語でもある。1965年「SFマガジン」で連載。
『物体O』
角川春樹事務所 1999年
ある日突然、白銀色に輝く、巨大なリング状の物体が落下した。関東地方は物体に押しつぶされ全滅したため首都機能は壊滅してしまい、大阪付近を中心にした半径五百キロの区域内は大気圏をこえる高さの物体によって完全に遮られた。日本はリングの内外で分断されてしまった。中央政府を失い、孤立した内側の人々は臨時政府を立ち上げるが…。
日本分断という極限の状況で起こる様々な問題をシミュレーションする小説スタイルはのちの長編『首都消失』でも繰り返されている。「宝石」1964年4月号に掲載。
『小松左京自伝』
日本経済新聞出版社 2008年
日本経済新聞連載の「私の履歴書」と、『小松左京マガジン』連載の「小松左京自作を語る」を大幅加筆してまとめたもの。前半では、太平洋戦争敗戦を経験した少年時代、文学同人誌「京大作家集団」に入り高橋和巳や三浦浩と議論を戦わせた大学時代、ラジオ漫才の台本作りや漫画の腕を買われてカット描きをしていた20代と、作家デビュー前の苦労が語られる。後半では、創刊された「SFマガジン」に衝撃を受け、戦争の終わらない世界をパラレルワールドで描いたSF処女作から80年代前半に至る作品まで、影響を受けた他の作家の作品や執筆のきっかけとなった社会状況などをからめながら自ら解説している。