浦安市立図書館

紫系

古代から日本では、紫は高貴さを象徴する色として尊ばれた。聖徳太子が制定した冠位十二階では、紫は最高位の公式の服の色となり、一位大徳に深紫、二位小徳に浅紫が定められている。  紫は上位の色として定められたというだけでなく、気品、風格、優雅という、あらゆる美の条件をそろえている魅力的な色として人々の関心を引き、多くの歌や物語に登場する。 平安時代の文学の世界においても、紫を重んじた作品は少なくない。紫式部の『源氏物語』では、「紫の上」を代表に「桐壺」「藤壺」など紫に通じる名の女性が多く登場した。清少納言も『枕草子』の中で、「紫なる物はめでたくこそあれ。花も糸も紙も。」と書いている。 西洋の古代紫は貝紫といわれる貝の染料で染められ、赤に近い紫であったが、日本の古代紫は、紫草という多年草の根を染料として染色したもので、赤と青の中間の正統な紫色といえる。日本の伝統色の中では、紫根で染めたものを本紫、藍を重ねたものを似紫(にせむらさき)というように、染料方法や濃淡によって、藤色、枯若色(かきつばた)、菖蒲色、菫色(すみれ)、桔梗色、藤袴色など数多くの色が作られ愛されてきた。  上杉謙信は紫を好んだ武将で、米沢市の上杉神社には、紫根の根を多量に使って染めた「紫白腰替り竹雀丸紋様小袖」が遺されている。紫草が多く採れた南部藩の森岡には、豊臣秀吉が江戸まで送らせた記録が残っている。
画像:帝王紫探訪

『帝王紫探訪』

吉岡常雄/著 紫紅社

本書は染織の研究者である著者が、「帝王紫」と崇められた高貴な紫色を求めて、イタリア、ギリシャ、エジプト、メキシコ、ペルーなど38ヶ所の国々を駆け巡って、調査旅行を重ねた17年間の記録である。
「帝王紫」は3千年ほど前、地中海の海洋民族が、食用に採集していたアクキ貝の内臓(パープル腺)に太陽の光が当たると紫色に変化することを知って、染色に利用することを思いついたとされる。
世界各地の歴史を紐とき、遺された最古の貝紫染の布や貝塚などの写真を紹介。実際、紫貝を採集し、「帝王紫」の染色の再現をするなど、著者のあくなき情熱を感じさせられる本である。

特集
Copyright (C) 2007 浦安市立中央図書館