緑系
自然の美しさを表現する上で欠かせない色は緑である。しかしながら日本の工芸の歴史の中で、緑を象徴する作品はあまり多いとはいえない。聖徳太子の冠位十二階では、緑は十一・十二位に緑の衣裳が使用されており、聖徳太子死後に製作された「天寿国繍帳」には、緑色の美しい色糸が刺繍として使われているが、一般の工芸などに広く普及してはいない。緑色は、飛鳥・奈良時代に中国から伝えられた「緑青(ろくしょう)」が、緑の初期の顔料にする製法と言われている。これは古代から使われている銅に生じる緑色の錆を採取して顔料にしたものであり、その後「白緑」「青丹」など緑の顔料が作られるが、工芸に反映されてくるのは七世紀後半頃なので、他の色に比べ使用率はとても低い。しかし、八世紀後半の中国の唐三彩の技法が伝えられるようになってから、緑の工芸への普及は急速に伸び「奈良三彩」「正倉院三彩」などと呼ばれる陶器などが作られるようになり、後に織部焼きの代表的な作品に緑が使われることも多くなった。染色でも葉緑素の色素はとても弱く、水に遭と壊れてしまい茶色に変色してしまうことで、糸や布へ緑の再現の困難さが問題になっていた。また単独で緑を再現することはできないことも普及の低さの原因ではないかと考えられる。しかし、長い時間をかけて開発された緑の再現によって、桃山、江戸時代には美しい緑の着物は多く製作され、緑のバリエーションも広がった。もともと淡い緑の色を呈する「山繭」から取られた糸の発見や、蝋を塗って黄色と藍色を混ぜて緑を再現し、その永続の可能性を限なく伸ばしてきた多くの職人たちの技術と努力の結晶が最もしのばれる色、それが緑なのである。
『母なる色』
志村ふくみ/著 求龍堂
作者は、『日本のたくみ』(白洲正子著)で、花の命を染める染色家として紹介された織物の伝統工芸界屈指の人である。
志村ふくみにとって、緑は自然の象徴であるにもかかわらず、植物から染めることができない不思議な色であった。しかし、ゲーテの色彩論や、シュタイナーの色彩の本質を学び、緑に染色した糸が空気に触れた瞬間に藍色に変色する様を見て考えが変わる。緑とは、不可視の世界と現界の間を流動し、両界のかけ橋となる「生と死」のあわい(物と物の間のこと)に明滅する色だと気づくのである。
作家の色への思いを理解しながら、創られた作品を改めて見てみると、織物の緑がなにやら特別なものに見えてくるから不思議だ。