浦安市立図書館

金・銀系

色彩として、金色と黄色、銀色と灰色は光学的には差がなく、金属光沢があるかないかの違いがあるだけだ。しかし、大きく違うところは金・銀は価値を持った金属であるということである。 金は古来、その輝きと希少価値により人々を魅了し続けてきた。生来、金は不変の色の意味で生色(しょうじき)とも呼ばれた。熱・湿度・酸化等の化学的な腐食に対して強く、薄く引き延ばすことができ、他の金属と合金しやすい性質のため、貨幣や美術工芸品として利用されてきた。日本では西暦57年、倭奴国の時代に王が後漢に使者をつかわし、金印を贈っている。仏教伝来後、仏像や仏具は金鍍金を施されることにより、金工品の浸透の原動力になったとの見方がある。743年、東大寺大仏建立決定の際、仏像を飾る金が不足していたが、749年、陸奥国(現宮城県)で黄金がみつかり献上した記録がある。金は宗教的神秘性を示すためか、仏像・仏具にふんだんに用いられ、1124年、奥州藤原氏が平泉に建てた金箔を張りめぐらした中尊寺金色堂は、その燦然と光り輝く姿から「光堂」とも呼ばれる。 南北朝時代の金閣寺・銀閣寺、豊臣秀吉の黄金の茶室、江戸時代の日光東照宮も金箔を使用した歴史的建造物であり、権力と財力の象徴ともなっている。  絵画では安土桃山時代の狩野派そして琳派に、様々な色を束ねる役割として金色が多用されている。「金色」は、「こがねいろ」、「こんじき」もしくは「山吹色」とも呼ばれる。 一方、「銀」は酸化しやすく容易に黒化する性質を持つ。日本では「日本書紀」に銀の出土の記述があり、正倉院の宝物にもみられる。江戸時代、日本では中間色が流行し茶や鼠の名がつく色彩名があふれたが、金の名が黄系・茶系の広範囲の色につけられたのに対し銀は、明度の高い白みがかった色を「銀鼠」と呼ぶくらいで、あまり種類がない。しかし、「いぶし銀」という言葉が良い意味合いで使用されるように、光り輝く金より抑えた色彩の銀を、洗練されたものとして尊ぶ感性も、日本には存在している。
画像:日本の金箔は99%が金沢産

『日本の金箔は99%が金沢産』

北國新聞社出版局/編 時鐘舎

日本の金箔の99%を生み出す「黄金の街」金沢。江戸時代、幕府から加賀藩が箔打ちの免許を獲得したことと、高湿な気候が作業に適していたこともあって、金沢は金箔を大量に使う、輪島、七尾の漆器や仏壇づくりを支えてきた。
本書は金沢の金箔の歴史や製造工程をわかりやすく説明し、金箔や金粉を用いた建造物・漆器・陶磁器、金箔や銀箔を細く切って文様とする截金(きりかね)などの工芸品、金箔や金砂子を利用した絵画・織物等を写真と文章で紹介している。
ページを繰るだけで工芸品の繊細さと豊かな文化の一端に触れる充実感をもたらしてくれる本である。

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